K

近くのもの

そばにあるもの

きょう起こること

目の前で起きていることが全てであること

それは1945年の話。

終戦間際の4月、ある特攻隊員が、

婚約者に宛てて書いたラブレター

特攻隊員の名は、穴澤利夫

婚約者は、孫田智恵子さん

1941年の夏に、二人は東京で出会った

その時、穴澤は大学生

その年の12月8日。日本が行った真珠湾攻撃で、

太平洋戦争が勃発

時代は、混沌としはじめた

翌年1月、

智恵子は、突然、穴澤に呼び出される

当時はまだ男女の自由恋愛など、一般的ではなかったと思う

はっきりしない態度を取りつづける智恵子に穴澤は1年間、

自分の思いを伝え続けた

だが…そのとき既に穴澤は、自ら戦闘機の操縦士に志願していた

当時、大学生は徴兵を免除されていたにも関わらず…

だが、真面目な穴澤は、国を、

そして自分の大切な人を守るために、

あえて志願していた

1943年10月

穴澤は、最も戦死率が高い陸軍航空隊に入隊する

この頃、戦況は日増しに悪化していた

穴澤に、いつ出撃命令が出るか、予断を許さなかった

そんなある日…軍から外泊許可が出た穴澤が、智恵子に会いに来た

二人は、この時はじめて死を意識した

特攻とは、片道だけの燃料を積み戦闘機ごと、敵の戦艦に体当たりする作戦

日本は、そこまで追い詰められていた

彼がいつ、出撃するかもしれない

智恵子は、その気持ちを綴る

航空兵が、常に首もとに巻く、白いマフラーを自分になぞらえ、

いつも一緒にいたいと告げた

それは、智恵子の精一杯のプロポーズだった

しかし、届いた返事には…還らざる任務

頭の中が真っ白になった智恵子は、穴澤の下に駆けつける

2日後、ようやく会えた穴澤は、智恵子のマフラーを巻き、

その上に自分のスカーフを重ねた

それは、あなたのマフラーになりたいという、

智恵子のプロポーズへの返事だった

二人の心は、一つになった

1945年4月12日

穴澤利夫少尉は、還らざる任務に付く

鹿児島県、知覧特攻基地から出撃

そして…沖縄の海に散った。

享年23

その事実を、智恵子さんは知らされていなかった

だが…出撃の直前、穴澤は、最期の手紙を書いていた

そこには、死を前にして婚約者を思う、

切ない気持ちがあふれている

わたしのことは忘れ、過去は忘れて、現在を生きて欲しい

と綴ったあと

「今更何を言ふか、と自分でも考へるが、
 ちよつぴり慾を言つてみたい


一、読みたい本「万菓」「句集」「道程」「一点鏡」「故郷」

二、観たい画 ラファエル「聖母子像」 芳崖「悲母観音」

三、智恵子 会ひたい,話したい,無性に。    


・・今後は明るく朗らかに。
 自分も負けずに朗らかに笑つて征く
                          利夫 」


最後の最後に刻まれた言葉。それは、死を前にした男の
純粋な未練だった

穴澤が、飛び立つ直前の貴重な写真がある

整列する兵士を、後ろから写したものだ

よく見ると、スカーフの下には、智恵子さんからもらったマフラーが

穴澤少尉は、愛する人への思いをしっかりと抱き、

大空に飛び立ったのだ

その最期の手紙には、戦争という運命に向き合った、
一人の若者の愛が刻まれている 


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戦争が終わって63年が経ちました

智恵子さんは今もなお、穴澤さんを想っています

その長き年月、

残された婚約者智恵子さんの生きる支えになったのは、

穴澤少尉からの手紙に記されていた次の言葉でした

「智恵子よ、幸福であれ。
 真に他人を愛し得た人間ほど 幸福なものはない」

会いたい 話したい 無性に。。

好きな人と、それすら叶わなかった時代があったということを

平和ボケしている今の僕達は決して忘れてはならない

そしていつの時代も好きな人への思いは

会いたい 話したい 無性に という 

シンプルなものなのだと あらためて思いました

愛してる人を大切に したいです してください